前回は、夏休み中の進学フェアで「留学」についてはさらっと触れたものの、息子にはまだ留学が選択肢となる可能性を告げないまま、留学が現実的に可能かどうか調査を進めたところまでのお話。
なんとかなりそうだと目途をつけたところで、いよいよ息子へ留学を提案してみることに。
結論。公立高校or留学!?
私たちの地域で、一般的な進路希望はこんなパターン。
- 私立一本(推薦なども含む)
- 第1希望に公立・ダメだったら私立
- 第1希望に私立・ダメだったら公立
そして2番目の「第1希望公立・ダメだったら私立」のパターンで受験する生徒が圧倒的に多い地域です。
そんな中、私たち保護者の間では一つの結論が出ていました。
それは
公立高校 or 海外留学
の選択。
第1希望はあくまでも公立高校のまま、私立高校を受験せずに第2希望に海外留学という、ちょっとレアな進路パターン。
つまり、公立高校入試に向けて受験勉強をしつつ並行して留学準備も進めていき、受験結果を待って最終的な進路を決定することにしたのです。
公立高校に合格すれば日本の公立高校へ進学し、不合格だった場合には留学。
これは留学エージェントにとっても異例のことだったそう。
通常、高校留学を選択する場合は、夏の時点で留学先を決定し、10月ごろには願書を出し、出発に向けて語学の勉強などをするのが一般的だそうです。
公立高校がダメだったら留学、なんて選択をするのは初めてのパターンだったと、今でも留学エージェント担当者さんには言われています。
なぜそんな回りくどいことをしたか?それはひとえに息子の性格を危惧してのことでした。
本人に伏せたかった私たち保護者
矛盾しているようですが、実は私たち保護者は、本人に留学の可能性をギリギリまで伏せておきたかったのです。少なくとも、日本の公立高校の受験結果がわかる2月下旬までは。
なぜなら、息子は以前から地元のK公立高校への憧れをもっていて、すでに学校見学や説明会にも出席していたから。留学するということは、K公立高校への入学はその時点でなくなるということです。
さらに息子の友人たちが受験モードに突入している夏の段階で、自分だけ既に「留学」という進路が決定してしまった場合、ひとり遊びほうけてしまうことへの懸念もありました。
面倒なことはできるだけ避けたい、辛いことはしたくない、やらなくていいならやらない、何より遊びたい!好きなことだけして過ごしたい!という、我が家の中学3年生男子。

おまえら、かわいそ。俺は勉強なんてしなくてもいいんだもんね~♪
なんてことは言わないにしても、ただでさえスマホに夢中なお年頃、進路が決まってしまったら、だらだらすることは必至。まわりで受験勉強に励む友達の足を引っ張ることは絶対に避けて欲しかったのです。
けれど事務手続きなどの関係で、伏せておけるギリギリのタイミングは9月が限度ということがわかり、悩んだ末、条件付きで本人に留学の提案をしてみることにしました。
中学卒業後の進路「公立高校」「私立高校」そして「海外留学」という選択肢
9月のとある日、「最終的な進路について話そう」と家族3人で話す時間を設けました。
まずは本人の意思を再確認。



今の時点で進路についてどう考えているか、教えて



第一志望はK公立高校、併願でS私立高校かな
K高は今B判定だから、これから頑張ってA判定以上に持っていきたい
本人は公立高校を第1希望とし、併願で私立を希望していました。



OK!
今から話す内容を聞いても、その気持ちは変えないでね
そしていよいよ留学について切り出すことに。



夏の進学フェアでちょっと話が出た留学の話だけど、いろいろ調べたら現実的に考えられそうなの
私立は受けずに、K高 or 留学ってことでどう?
ただし、あくまでも第1希望はK公立高校で、受験まで気を抜くのはNG!
性格的に留学に対して前向きだろうとは思っていましたが、実際、悩む時間は1秒もありませんでした。



え、まじ!!
行っていいの?
ぱぁっと笑顔になる息子。進路の選択肢の中に「留学」が増えたことに対して、とても前向きに見えました。
ただ、留学って楽しいことばかりじゃない。むしろ大変なことの方が多いかもしれない。
15歳で親元から離れて生活することは、想像以上に大変なこと。友達にも会えなくなるし、相談できる大人も近くにいない。言葉の壁、文化の壁。そして一度決めたら後戻りはなかなかできないこと。
そして費用の話もきちんとしました。日本の私立高校への進学の数倍の費用がかかること。我が家はそれをポンと出せる経済状況ではないこと。それでも頑張るなら、家族全員で応援すること。
そんな不安になるような話をしても、息子は笑顔のまま。



本当に大丈夫?



うん、俺なら大丈夫。やれる!
意思は変わらず、力強い返答。
この瞬間に「留学」が進路の可能性のひとつとして決定したのです。